ゲリラ活動と難民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)
「釜山橋頭堡の戦い」の記事における「ゲリラ活動と難民」の解説
ゲリラ活動の多さから洛東江東岸では住民が強制的に立ち退かされた。北朝鮮から逃れてきた避難民も洛東江を渡ることが出来ずに洛東江西岸で立ち往生したが、それでも釜山橋頭堡の中には70万人から80万人の難民がいた。釜山橋頭堡の中では、通信施設の破壊、補給路への襲撃、後方指揮所への攻撃などのゲリラ活動が行われ、馬山市内で第25歩兵師団のキーン少将が狙撃される事件も発生した。 開戦前から釜山北方の山岳地帯で活動していたゲリラのほか、ゲリラ訓練を受けたコマンド部隊(第766部隊など)、北朝鮮各師団が派遣した便衣隊などが侵入していた。国連軍の推定でその総数は3万人ともされたが実体は定かではなかった。国連軍は8月上旬から9月中旬にかけて約4,000人のゲリラを捕殺したが、釜山橋頭堡内での避難民の問題やゲリラの扇動によるストや暴動などにも警戒する必要があった。 これらゲリラにアメリカ軍は緊張を強いられたが、北朝鮮訛りが韓国人には区別できたため、韓国軍の管轄する地域では成果をあげられなかった。
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