クーリッジ財団の創設(1925年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:53 UTC 版)
「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の記事における「クーリッジ財団の創設(1925年)」の解説
エンゲルの求めに応じて1924年に議会図書館に楽譜を寄贈したエリザベスは、議会図書館が楽譜を収蔵するだけでなく、そこで実際に作品が演奏されることを望んだ。当時の議会図書館には古いアップライトピアノがあるだけでコンサートが開けるだけの施設はなかったが、エンゲルは親友の作曲家メアリー・ハウを通じてワシントンD.C.のフリーア美術館を演奏会場として手配し、1924年2月に室内楽演奏会を実現させた。同年秋、エリザベスは議会図書館館長ハーバート・パットナム(英語版)に音楽ホールの建設資金として6万ドルの小切手を渡し、この金でアメリカ議会図書館内に室内楽用の音楽ホール(「クーリッジ・オーディトリアム」)が建設されることになった。 さらにエリザベスはホールの建設と同時に、音楽祭の運営や作曲の委嘱を行うための基金を議会図書館に創設することを提案していた。議会図書館が民間から提供を受けた資金を運営するということは前代未聞のことであり、法律の壁があったが、パットナム館長の働きかけにより連邦議会が動き、1925年3月、議会図書館に基金とその運営にあたる部局を設置することが法律(通称 Library of Congress Trust Fund Board Act)として制定され、エリザベスが出資した40万ドル以上の資金を運用する「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ財団」(以下「クーリッジ財団」という。)が議会図書館に設けられた。 こうして、エリザベスが個人として行っていた、音楽祭やコンクール、演奏会の運営、作品の委嘱や収集などの事業はクーリッジ財団により公的なものとして続けられることになった。エリザベスは財団の運営に関わる実務はエンゲルに任せたが、作曲家の選定や選曲など音楽的な事柄に関しては強い発言力を行使し続けた。 なお、クーリッジ財団をつくるための法整備によってアメリカ議会図書館は様々な民間の基金を受け入れることが可能となり、20世紀末の段階において財団の数は約150にまで増えている。
※この「クーリッジ財団の創設(1925年)」の解説は、「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の解説の一部です。
「クーリッジ財団の創設(1925年)」を含む「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の記事については、「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の概要を参照ください。
- クーリッジ財団の創設のページへのリンク