クロノメーターの開発とジョン・ハリソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 02:42 UTC 版)
「経度の歴史」の記事における「クロノメーターの開発とジョン・ハリソン」の解説
1714年、ジェレミー・サッカー(en:Jeremy Thacker)は、自分が考案したクロノメーターを使えば、他のどの時計よりも正確に経度を求めることができると述べた。これがクロノメーターという単語が初めて使われた例であり、以後、船上で使われる時計をクロノメーターと呼ぶことは一般的になっていった。 サッカーのクロノメーターは、船の揺れや気圧・湿度の変化による影響を受けないための工夫が見られたが、温度変化には対応できず、温度計の目盛りを見ながら計算を行わなければならなかった。また、好条件が整っていても、1日あたり6秒のずれが生じた。この誤差は従来の時計よりも格段に優れたものであったが、経度誤差2分の1度を達成するには誤差を3秒以内に抑える必要があった。 1730年、時計職人のジョン・ハリソンは、正確かつ安定した時計の製作は可能と主張し、1735年に自身初のクロノメーター「H-1」を完成させた。H-1は翌1736年に試験のための航海に出された。ただし経度法に定められた西インド諸島ではなく、それよりも短いリスボンまでの航海となった。 航海においてH-1は正確に時を刻むことができたため、1737年に経度委員会が招集され、会合が行われた。これが記録上では経度委員会の初めての会合である。 委員の評価も上々であったが、この時ハリソンは、自分の時計にはまだ改良の余地があるから、西インド諸島への正式な試験航海は待って欲しいと願い出た。そしてハリソンは、委員会から受け取った製作資金を元に、新たなクロノメーターH-2(1741年)、H-3(1757年)を発表していった。さらに1759年にはH-4が完成し、1761年から1762年にかけて、ジャマイカまでの試験航海が行われた。 81日間の航海でH-4の誤差は5.1秒であり、経度法の定める規定を達成できていた。しかし委員会はこれに納得せず、もう1度試験航海を行う必要があると結論した。
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