クロノメーターとキャプテン・クック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 02:42 UTC 版)
「経度の歴史」の記事における「クロノメーターとキャプテン・クック」の解説
ハリソンは経度委員の指示通り、H-4の設計図を提出し、自らの手でH-4の分解、組み立てを行い、原理を説明した。H-4はその後マスケリンの手により室内でテストが行われたが、この時は1日に20秒進んだりするなど、正確な時を刻むことができなかった。そのためマスケリンは、H-4は経度を測定するのに充分でないと結論した。 ハリソンはこのテストに不満を持ち、批判を行った。一方で規定に従い、1770年にH-4の複製品「H-5」を完成させた。規定によればハリソンはもう1個複製品を作らなければならないが、すでに老年となったハリソンには製作・テストのための時間が残されているとは限らなかった。 ハリソンの息子のウィリアム・ハリソンは1772年、国王に手紙を送り、現在の状況を伝えた。ジョージ3世はハリソンに同情し、H-5を使用して自らテストを行った。このテストでH-5は1日の誤差0.3秒という高い性能を発揮した。そのためハリソンは国王の協力を得ることができ、結果的に1773年、議会から賞金を受け取ることができた。 H-4はハリソン自身が作った複製品H-5の他に、時計職人ラーカム・ケンドール(en:Larcum Kendall)によっても複製が作られた。1770年に完成され「K-1」と名付けられたこの時計は、ジェームズ・クックによる2回目の航海に携行された。クックは航海中に天体観測との比較により精度を確かめ、その結果、高い精度で経度を測定できることが認められた。クックはK-1を「われわれのもっとも信頼できる友人」と呼び、帰国後にその高い性能を褒め称えた。
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