クロウリー後のOTO
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「東方聖堂騎士団」の記事における「クロウリー後のOTO」の解説
ゲルマーの下でOTOの活動は絶滅寸前まで落ち込んだ。ゲルマーは後継者を指名せずに1962年に死去した。1969年まで誰もこの空席を埋めようとする者はいなかったが、クロウリーからの書簡によって緊急時の権限を与えられたと主張するグラディー・マクマートリー(Grady McMurtry)が、この権限を行使してカリフ(X°)の地位に就任した。グラディーはOHOを僭称しなかったが、1974年に「現在、アレイスター・クロウリーの東方聖堂騎士団のOHOが存在していない。団のOHOは国際的な任務であり(The Blue Equinox のp201参照)、アレイスター・クロウリーの東方聖堂騎士団はこの点において組織としての必要条件を満たしておらず、現時点では組織の体(てい)をなしていない」と主張した。 グラディーは1970年に参入儀式を行い始めた。OTOは1979年3月26日にカルフォルニア州法の下で法人化された。この法人は1982年にIRSコード501(c)3の宗教団体として連邦税を免除された。グラディー・マクマートリーはOTOを絶滅から救うことに成功したのち、1985年に死去した。 マクマートリーはソブリン・サンクチュアリ(第九位階)の団員に次期カリフを選出するよう要請し、1985年にその選挙が行われた。ウィリアム・ブリーズ(William Breeze)が次期カリフ(X°)に選出され、Hymenaeus Beta X°を名乗った。 1995年から2005年の間のいつかの時点でブリーズはOHOの地位に就いたようである。OTOのウェブサイトにある The Magical Link 1995年秋号では、Hymenaeus Beta X°と称されているが、 The Magical Link 1997年秋号では、Hymenaeus Beta XI°、2005年5月には O.H.O. Hymenaeus Beta XII°となっている。1966年にSabazius X°(デビッド・シュライブン David Scriven) がアメリカ合衆国のグランドロッジのグランドマスターに就任した。2005年には Fr. Hyperion X°が、新しく設立されたイギリスのグランドロッジのグランドマスターに就任した。Fr. Shiva X°は2006年にオーストラリア・グランドロッジのグランドマスターに就任した。
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