クロウリーの聖守護天使観の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 18:54 UTC 版)
「聖守護天使」の記事における「クロウリーの聖守護天使観の変遷」の解説
クロウリーが聖守護天使は「沈黙の自己」であるという見解を取っていたのはもっぱら初期の頃である。『楽々魔術』(Magick without Tears)を執筆していた70歳代の頃は、まったく異なる正反対の見方を提示している。この定義によれば、聖守護天使は「自己」ではなく、かつてある時は自分のような人間であったかもしれない、独立した別個の存在である。 しかしながら、まったく異なるタイプの天使がいます。神々や悪魔たちもわたしたちのうちに含まれるということを、ことのほか注意深く思い出さなければなりません。というのも、ある特定の要素の有無にかかわらず存在しうる、というような存在がいるのです。そのような存在たちは人間がそうであるのとまさに同じ意味において小宇宙です。かれらは、わたしたちが自分でするのとまさに同じようにして、可能性と利便性の命ずるままにその構成要素を獲得してきた個です … わたしは聖守護天使はこの系統の存在であると信じています。かれは人間以上の何かであり、人間の段階をすでに通過した存在かもしれません。そしてかれとその相手との特別に親密な関係は、友・共同体・兄弟・父子の間柄です。わたしが強調したいのは、かれはあなた自身を抽象化したものなどではないということです。そのようなわけで、わたしは「高次の自己」という言葉が忌まわしい異端と危険な欺瞞をはらんでいると強く主張したのです。
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