クロアチア=スラヴォニア王国と大日本帝国の関係とは? わかりやすく解説

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クロアチア=スラヴォニア王国と大日本帝国の関係(1868~1918年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:11 UTC 版)

日本とクロアチアの関係」の記事における「クロアチア=スラヴォニア王国と大日本帝国の関係(18681918年)」の解説

クロアチア=スラヴォニア王国クロアチア語版、英語版)は「王国」を名乗っていたが、実際にオーストリア=ハンガリー帝国内の自治領に過ぎなかった。この期間における日本クロアチアとの外交関係は、オーストリア=ハンガリー帝国仲介するものであった。尚、日本オーストリア外交関係は、1869年日墺修好通商航海条約締結を以て嚆矢とする。 1914年6月28日オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者夫妻サラエヴォ暗殺されその1ヶ月後の7月28日オーストリア=ハンガリーセルビア宣戦布告したことにより、第一次世界大戦勃発。翌8月4日イギリスが、オーストリア=ハンガリー同盟関係にあったドイツ帝国宣戦布告当時イギリス同盟関係にあった日本は、同月23日にはドイツに対してその2日後の25日にはオーストリア=ハンガリーに対して宣戦布告した。これにより、形式上ではあるにせよ、オーストリア=ハンガリー自治領であったクロアチア=スラヴォニア王国もまた自動的に日本交戦状態に入った。しかし、1918年後半にもなるとオーストリア=ハンガリー同盟国劣勢確定的となって、まずは10月29日オーストリア=ハンガリーからスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国分離し、続く12月1日、既に独立国として存在していた連合国セルビア王国同国糾合してセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国後年ユーゴスラビア王国改称)を成立させ、クロアチア同盟国から離脱して連合国仲間入りをするに至った。この同盟国からの離脱同時にクロアチア日本交戦状態もまた解消した第一次大戦のうちクロアチア日本交戦関係にあったこの約4年半こそが、両国交戦関係にあった歴史上唯一の期間である。また、クロアチア=スラヴォニア王国外交権限オーストリア=ハンガリーに完全に奪われていたので、有史以来独立国としてのクロアチア日本交戦したことは一度もないという見方も可能である。

※この「クロアチア=スラヴォニア王国と大日本帝国の関係(1868~1918年)」の解説は、「日本とクロアチアの関係」の解説の一部です。
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