クロアチア=スラヴォニア王国と大日本帝国の関係(1868~1918年)
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「日本とクロアチアの関係」の記事における「クロアチア=スラヴォニア王国と大日本帝国の関係(1868~1918年)」の解説
クロアチア=スラヴォニア王国(クロアチア語版、英語版)は「王国」を名乗っていたが、実際にはオーストリア=ハンガリー帝国内の一自治領に過ぎなかった。この期間における日本とクロアチアとの外交関係は、オーストリア=ハンガリー帝国を仲介するものであった。尚、日本とオーストリアの外交関係は、1869年の日墺修好通商航海条約締結を以て嚆矢とする。 1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者夫妻がサラエヴォで暗殺され、その1ヶ月後の7月28日にオーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告したことにより、第一次世界大戦が勃発。翌8月4日、イギリスが、オーストリア=ハンガリーと同盟関係にあったドイツ帝国に宣戦布告。当時イギリスと同盟関係にあった日本は、同月23日にはドイツに対して、その2日後の25日にはオーストリア=ハンガリーに対して宣戦布告した。これにより、形式上ではあるにせよ、オーストリア=ハンガリーの自治領であったクロアチア=スラヴォニア王国もまた自動的に日本と交戦状態に入った。しかし、1918年の後半にもなるとオーストリア=ハンガリーら同盟国の劣勢が確定的となって、まずは10月29日にオーストリア=ハンガリーからスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国が分離し、続く12月1日、既に独立国として存在していた連合国のセルビア王国が同国を糾合してセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後年、ユーゴスラビア王国と改称)を成立させ、クロアチアは同盟国から離脱して連合国の仲間入りをするに至った。この同盟国からの離脱と同時に、クロアチアと日本の交戦状態もまた解消した。第一次大戦のうちクロアチアと日本が交戦関係にあったこの約4年半こそが、両国が交戦関係にあった歴史上唯一の期間である。また、クロアチア=スラヴォニア王国は外交の権限をオーストリア=ハンガリーに完全に奪われていたので、有史以来、独立国としてのクロアチアが日本と交戦したことは一度もないという見方も可能である。
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