クレイグの思想と超人形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 09:40 UTC 版)
「エドワード・ゴードン・クレイグ」の記事における「クレイグの思想と超人形」の解説
クレイグは演技は芸術でないとしている。その理由は芸術とは計算できる素材でのみで作られるものであるからである。しかし、人間の本性は自由を求める傾向があり、つまり演劇の素材には役に立たないということである。それをクレイグは偶然が重なってできる伏魔殿であると表現している。 近代演劇は身体を素材としているため、=偶然を帯びている。偶然の感情=俳優の心に価値はないと言う。 そして彼は俳優を、役の感情を感じ共感しそれから批判出来なければならず、役に取り組む前にそれを遠くから眺め最小限の感情を選ぶべきだとする。そして、それを感じるのが少ないほど表情や身体に対する支配力がしっかりすると説く。彼はこれを”超人形”と呼んだ。 また彼は俳優が劇作家に対して犯しうる最大の違反が、セリフの省略や笑いの要素を入れることであると言う(例:シェイクスピアは原本では〇幕と〇場しか書いていない=演出家を侵害していない(舞台指示は後世の編集))。演劇には軍のような規律がいるものであり、俳優は演出家の指示を聞くだけの存在でないといけない。俳優は他の技能を勉強しない、もしそれをしたら演出家になってしまうと言う。
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