クリミア・ハン国統治下の諸民族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:47 UTC 版)
「クリミアの歴史」の記事における「クリミア・ハン国統治下の諸民族」の解説
クリミア・タタール人は、15世紀から18世紀まで続いたクリミア・ハン国の統治下にあった人々により民族を形成した。彼らは直接には8世紀以来、クリミア半島に流入したテュルク系民族の末裔であるが、クリミア・ゴート人やジェノヴァ人をはじめ、クリミアから姿を消した諸民族も混成されたと考えられる。クリミア・ハン国の人々は、クリミア半島中央部を中心とするタタールと黒海北岸にかけて広がるノガイの二大グループに分かれていたが、タタールはこの時代には主に農民であり、遊牧民はノガイのみであった:78。言語学的見地からは、クリミア・タタール語は8世紀中頃にクリミアを征服したハザールの流れを汲み、テュルク諸語のキプチャク語群(北西語群)に属するが、オスマン帝国がクリミア半島を支配した歴史的経緯からオスマン語(トルコ語)の属するオグズ語群(南西語群)の強い影響も見られる。 また、イスラム教スンナ派を信仰するクリミア・タタール人に混じって、ユダヤ教カライ派を信仰し、テュルク系言語のカライム語を用いるクリミア・カライム人も13世紀から確認される。彼らは主にチュフトカレ(英語版)の山岳地帯に居住していた。 このほかにも、ラビ派ユダヤ教徒でテュルク系言語のクリムチャク語を話すクリムチャク人、ビザンティン以来のキリスト教正教徒であるがクリミア・タタール語を話すウルム人(英語版)、同じく正教徒でギリシア語を保っていたギリシア人、アルメニア教会に属するアルメニア人などがクリミア半島で暮らしていた。
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