クリミア・ハン国の臣従
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 21:13 UTC 版)
「メフメト2世」の記事における「クリミア・ハン国の臣従」の解説
1460年代末からクリミア半島のモンゴル系国家クリミア・ハン国では王位を巡る内争が起きていた。1475年、クリミア・ハン国の有力部族シリン族の要請を受けて、メフメトは大宰相ゲディク・アフメト・パシャを総司令官とする艦隊をクリミアに派遣した。オスマン艦隊はカッファ(フェオドシヤ)、タナ、アゾフを占領し、ジェノヴァに捕らえられていたクリミア・ハン・メングリ1世ギレイを解放し、復位させる。オスマン艦隊の攻撃によって、クリミア半島一帯からジェノヴァ、ヴェネツィアの勢力は一掃された。 メングリ1世は1468年に即位した際に送った書簡で自国がオスマン帝国と対等の関係にあると主張していたが、1475年の復位後にオスマンへの臣従の意思を表明した。チンギス・ハーンの子孫を従属下に置いたことでイスラーム諸国以外に、カザン・ハン国などのモンゴル系国家やモスクワ大公国にもオスマン帝国の権威は知れ渡る。
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