クリエイション期(1972年 - 1978年)
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「クリエイション (バンド)」の記事における「クリエイション期(1972年 - 1978年)」の解説
1972年、竹田、松本、樋口、大沢でブルース・クリエイションを再興し、「クリエイション」と改め新規に結成。飯島義昭(ギター)が追加入してツイン・リード体制となるが、大沢が早々に脱退し竹田がボーカルを兼任する。 1975年、東芝EMIより、内田裕也のプロデュースで、1stアルバム『クリエイション』をリリースする。当時の国内盤LPとしては珍しくビニールシュリンクされていた。同年、ワールド・ロック・フェスティバルで共演した元「マウンテン」のフェリックス・パパラルディにコンタクトを取り渡米しパパラルディのプロデュースでレコーディング。 1976年、2ndアルバム『クリエイション・ウイズ・フェリックス・パパラルディ』をリリースする。このアルバムはアメリカでは『FELIX PAPPALARDI & CREATION』としてリリースされ、同年7月より、パパラルディを加えたメンバーで、キッス、ジョニー・ウィンターなどと共に全米ツアーを行った。また、日本人単独アーティストとしては初の武道館公演を行った。 1977年、3rdアルバム『ピュア・エレクトリック・ソウル』をリリース。このアルバムからは、「スピニング・トー・ホールド」が、アメリカのプロレス兄弟チーム、ザ・ファンクスの入場テーマ曲に使用され有名になった。その後、松本が脱退し山内テツ(ベース)が参加し、フリートウッド・マック、サンタナらとオーストラリアツアーを行った。
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クリエイション期
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「フェルト (バンド)」の記事における「クリエイション期」の解説
1986年から1989年まで、シングル4枚とアルバム5枚がクリエイションからリリースされた。この時期には、後にロックバンドプライマル・スクリームに加入することとなるマーティン・ダフィがキーボードを担当し、メイン・プレイヤーとしての役割を果たしていた。彼の貢献によりポップで華やかな音作りが際立ち、ジャズピアノ的なインストゥルメンタルも目立つようになる(5thアルバム『ヘビの頭をくねらせろ』と9thアルバム『トレイン・アバヴ・ザ・シティ』は全編インストゥルメンタルである)。
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