クラブ略歴
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1988年ボカでトップチームデビュー、その後ボカのライバルであるCAリーベル・プレートへ移籍。以降移籍と復帰を繰り返し、リーベル・プレートでキャリアの大半を過ごした。 1992年、イタリアのACパルマに移籍したが、外国人枠の問題もあり、セリエAでは数試合しかプレーしなかった。準決勝や決勝ではプレーしていないが、カップウィナーズカップでは優勝を経験した。1992年12月30日には世界選抜の一員として、ACミランと対戦し、ゴールを決めた。そのシーズン限りでパルマを離れ、CAリーベル・プレートに復帰した。 1995年にはスペインのレアル・サラゴサに移籍したが、1996年AFCアヤックスとのスーパカップ第1戦でも79分からグスタボ・ロペスとの交代で途中出場するなど、同じ様なポジションを務めるグスタボ・ロペスとプレータイムを分け合うこととなり、途中交代や途中出場などが多かった。 1996年リーベル・プレートに復帰し、フランチェスコリ、サラスなどと共に、南米スーパーカップ優勝、リーグ優勝などに貢献した。日本で開催された1996年のトヨタカップや1997年のJAL CUPでもプレーした。1997年のボカ・ジュニアーズとのスーペルクラシコのゲームでは、前期、後期リーグのゲームで共にゴールを決めている。 2000年かつてボカ・ジュニアーズでプレーし、リーベルに移籍してプレーし長年の間活躍していたこともあり、クラブアメリカ時代、リベルタドーレスカップ準決勝ボカのホームでの試合では、ベルティに対してボカサポーターから彼や、彼の家族を脅すようなチャントが叫ばれ、危険を回避するために、試合直前に出場を取りやめた。 2002年末にスコットランドリーグのリヴィングストンに移籍した、彼の名前の応援団が発足するなど、期待されての加入であったが、プレシーズンのゲーム後にチームメートと問題起こして、クラブを退団した。
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