キーロフ (巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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キーロフ (巡洋艦)

(キーロフ_(軽巡洋艦) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 01:18 UTC 版)

キーロフ
1941年のキーロフ
基本情報
建造所 バルチック造船所
運用者 ソ連海軍
艦種 軽巡洋艦
級名 キーロフ級
艦歴
起工 1935年10月22日
進水 1936年11月30日
就役 1938年9月23日
除籍後 1974年2月22日スクラップ処分
要目
基準排水量 7,890 t
満載排水量 9,436 t
全長 191.3 m
最大幅 17.66 m
吃水 6.15 m(満載時)
機関 蒸気タービン 2 基
主缶 ヤーロウ・ノーマンド 6 基
電源
出力 113,500 hp (84,600 kW)
推進器 直径4.7 mスクリュー 2 軸
最大速力 35.94 kn (66.56 km/h)
航続距離 3,750海里 (6,940 km) / 18 kn
乗員 872名
兵装
装甲
  • 舷側 : 50 mm
  • 甲板 : 50 mm
  • 砲塔 : 70 - 50 mm
  • 司令塔 : 150 - 100 mm
  • 搭載機
  • 射出機K-12 : 1 基
  • KOR-1水上偵察機 : 2 機
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    キーロフソ連海軍の巡洋艦。キーロフ級(26型)。艦名はセルゲイ・キーロフにちなむ[1]

    艦歴

    サンクトペテルブルクの中央海軍博物館で展示されるキーロフの模型

    レニングラードバルチック造船所(第189造船所)で建造[2]。1935年10月22日起工[3]。1936年11月30日進水[3]。1938年9月26日に竣工[3]バルチック艦隊に配属された[3]。しかし、海軍への引き渡し後も不具合が出てニューヨーク国際産業見本市への派遣計画が中止となった[3]

    1939年にソ連とバルト海沿岸諸国との間で相互援助条約が結ばれると、「キーロフ」は10月22日にラトビアのリエパヤに配備された[4]冬戦争中の11月30日に駆逐艦「Smetlivyi」、「Stremitel'nyi」とともに出撃[1]。ルッサレ島の砲台攻撃を命じられて180mm砲弾35発を発射し、フィンランド側からの砲撃で至近弾を受けて損傷した[1]。以後、冬戦争中はリエパヤにとどまった[1]

    1941年8月下旬、タリン防衛線に参加[1]。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Classによれば、8月25日に15cm砲弾が命中して死者9名、負傷者30名を出す[1]。『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』によればドイツ軍による砲撃での被害はなかったが、爆撃によって1発被弾し、また至近弾で死者9名、負傷者30名を出した[5]。一方、「キーロフ」はドイツ軍に対して180mm砲弾235発を発射した[5]

    続いて「キーロフ」はレニングラード防衛戦に参加した[6]。「キーロフ」は9月の空襲で命中弾2発(ひとつは不発)と多数の至近弾を受け、死者3名負傷者12名を出し、1942年4月4-5日の空襲では爆弾1発が命中、同月24日には爆弾3発と15cm砲弾1発を受けて死者86名負傷者46名を出した[1][7]。その後、レニングラードの第189造船所で修理および改装工事を受ける[6]

    1943年2月、赤旗勲章を授与された[8]

    1944年6月、フィンランドのマンネルハイム線を砲撃[1]

    1945年10月17日、「キーロフ」はクロンシュタット近海で触雷し、大損害を受けた[9]。1946年12月20日に修理は完了した[1]

    1949年11月から1953年4月にかけ近代化改装を実施[9]

    1958年4月29日に予備役となり、1960年9月にはレニングラードへと移って練習巡洋艦に類別される[9]。または、1960年8月2日に練習巡洋艦に類別変更[1]

    1968年のセベル演習では旗艦を務め、1970年にはオケアン演習に参加した[9]。1974年2月22日に除籍され、その後解体された[9]

    180mm砲塔2基がレニングラードで保存されている[10]

    改装

    脚注

    1. ^ a b c d e f g h i j "The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", p. 91
    2. ^ 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』34、36ページ。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", p. 84
    3. ^ a b c d e 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』34ページ
    4. ^ 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』35ページ。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", p. 91
    5. ^ a b 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』35ページ
    6. ^ a b 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』36ページ
    7. ^ 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』36ページでは爆撃で命中弾7発とある。死者負傷者数の合計は同一。
    8. ^ 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』36-37ページ
    9. ^ a b c d e 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』37ページ
    10. ^ 『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』37ページ。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", p. 91

    参考文献

    • アンドレイ・V・ポルトフ『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』世界の艦船 増刊第94集、2010年、海人社
    • Vladimir Yakubov, Richard Worth, "The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", Warship 2009, Conway, 2009, ISBN 978-1-84486-089-0, pp. 82–95



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