キト、エクアドル
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1577年、エクアドルで最初の修道院を始めるために5人の「無原罪の御宿り修道会」(Conceptionist)の修道女がスペインからキトへ旅をしていた時の聖マリアナ・デ・ヘスス・トレス(St.Mariana de Jésus Torres)[it] はその中でも若い修道女の一人であったが、聖母の御出現を受けたことがあるという。 マリアナは、1610年2月2日に、彼女が祈っている時に聖母が出現し、彼女に似ている像を作るように命じた。「私が天の裁きを鎮めるためにいること、そして後悔の心を持って私のところにやってくるすべての罪人たちに慈悲と許しを得させるためにいること、そのことを将来に人間たちが、聖母とは何と強力なのだろうと実感するかも知れない程のものとなるように。なぜならば、私は慈悲の母であり、私の中にあるのは善きことと、愛だけなのです。」「霊的試練と肉体の苦しみが彼らを圧迫する時、そして彼らが底なしの海の中で溺れているように見える時、私の神聖な像を見つめさせなさい。信頼と愛で母に助けを求めるべきだと彼らに伝えなさい。彼らの叫び声を聞いて、彼らの痛みを和らげるために、私は常にあらかじめそこにいます。常に信頼と愛で聖母に助けを求めなければならないと彼らに話しなさい。」マリアナがこの趣旨に完璧に沿った像を作成するために努力したのは10年以上の過程だった。像の作成には多くの障害が持ち上がった。1つの障害は、キトでの現地人たちの側がこの像を偶像崇拝してしまうかもしれない恐れだった。もう一つはマリアナが信じられていないことへの個人的な恐れであったがそれが修道院の存在を危うくしてしまうかもしれないことだった。 1610年に、マリアナは司教に像の作成許可を申請した。「善き成功の聖母」の作成はフランシスコ・デル·カスティージョ(Francisco del Castillo)が任命された。カスティージョは聖母に対する崇敬と彫刻の技術を評価されて任命された。「善き成功の聖母像」は1611年2月2日に祝福された。その日に マリアナは女子修道院長より上の地位に付いた。彼女の名は “浄めの善き成功のマリア(Mary of Good Success of the Purification)”という.
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