ガーフィールド暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 17:25 UTC 版)
「チャールズ・J・ギトー」の記事における「ガーフィールド暗殺」の解説
詳細は「ガーフィールド大統領暗殺事件」を参照 ガーフィールドを暗殺するべく、メイナードという人物から15ドルを借り、回転式拳銃を購入する事にした。小火器についての知識は乏しかったものの、口径の大きな銃が必要である事だけは理解していた。そして.442口径(英語版)のブリティッシュ・ブルドッグ・リボルバー(英語版)のうち、グリップが木製のモデルと象牙製のモデルで迷った挙句、暗殺後美術館にでも飾っておけるよう、グリップが象牙製の銃を選択。 持ち合わせでは足りなかったものの、店主が値段を負け売却(犯行に使われた銃は回収され、20世紀初頭にはスミソニアン財団が写真撮影さえしたものの、その後行方不明)。購入から数週間は、狙撃訓練とガーフィールドの付け回しに費やす事となる。最初は銃からの反動が酷かったという。 ある時、ガーフィールドが妻ルクレティアをニュージャージー州ロングブランチのリゾート地まで見送ろうとしたため、駅まで尾行し狙撃する事を考えた。1881年7月2日、ボルチモア・ポトマック鉄道駅(現存せず)でガーフィールド狙撃の時を待つ。妻とロングブランチで休暇を過ごそうとしたガーフィールドが駅に入った時、背後から近付き2度銃撃。2弾目が第1腰椎を貫通するも脊髄には通らなかった。ギトーは群衆に取り囲まれる中、「俺は支持者の中の支持者だ。これでアーサーが大統領になったぞ!」と零したという。その後、殺人未遂罪で逮捕。 銃撃から11週間後の9月19日、ガーフィールドが死去。死因は医師が不潔な手と不衛生な器具で傷を処置した事に拠ると見られる、感染症であった。そのため、10年後に合衆国でも一般的な物となる、殺菌処置がなされた医療器具を使っていれば、容易く回復していたであろうとする外科医は多い。
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