カレッジ・ホールの建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:12 UTC 版)
「クランウェル王立空軍士官学校」の記事における「カレッジ・ホールの建設」の解説
新古典主義様式のカレッジ・ホールが建設される以前は、海軍の古い小屋で訓練が行われていたが、1920年代にサミュエル・ホア卿(Sir Samuel Hoare)がカレッジの建物を充実させるために奔走し、1929年に現在の建築設計図が作成され、ホアと建築家ジェームス・グレイ・ウェスト(James Grey West)の間で意見の相違があったものの建築計画にはクリストファー・レンのチェルシー王立病院の設計が取り入れられ、1929年にモード・ホア夫人(Maud Hoare)が礎石を据えた。 1933年9月、素朴な型押しレンガ造りの建物として完成した。間口は800フィート(240m)。ホールの前には、橙色の砂利道(「ザ・オレンジ」)が、ほぼ円形の草地を回り込んでパレード場へと続いている。1934年10月にプリンス・オブ・ウェールズ(エドワード8世)が正式に開学し、英国空軍士官訓練の重要施設となった。 1936年、空士は軍団から航空団に格下げされ、士官学校の司令官はクランウェル空軍基地司令官という肩書きを持つことはなくなった。 第二次世界大戦の勃発直前、空軍省は士官候補生訓練施設としてのカレッジを閉鎖した。大量の航空機乗務員を訓練する必要があったため、RAFカレッジ飛行訓練学校(RAF College Flying Training School)と改称され、元の機能に戻るのは1947年になってからである。また、従来の飛行士候補生に加え、装備・秘書課の候補生がカレッジに入学したのも1947年であった。
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