カルロス4世の退位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 06:06 UTC 版)
「ジョゼフ・ボナパルト治世下のスペイン」の記事における「カルロス4世の退位」の解説
詳細は「アランフエス暴動(英語版)」、「バイヨンヌの譲位(英語版)」、および「半島戦争」を参照 1796年の第二次サン・イルデフォンソ条約の締結以来、スペインはフランスと同盟してイギリスに対抗していた。しかし、1805年のトラファルガーの海戦でフランス・スペイン連合艦隊がイギリス艦隊に敗れて以降、同盟関係に亀裂が現れ始め、第四次対仏大同盟戦争が勃発するとスペインは南方からフランスに侵攻する準備をした。1806年、スペインはプロイセンが勝利すれば侵攻する用意ができていたが、イエナ・アウエルシュタットの戦いでナポレオンがプロイセン軍に圧勝したため手を引いた。しかし、スペインはトラファルガーで艦隊を喪失したことや大陸封鎖への参加を強制されたことの恨みを忘れなかった。とはいえ、両同盟国は、長年イギリスとの通商・同盟関係にあり大陸封鎖への参加も拒否したポルトガルの分断には同意した。ナポレオンは、スペインの経済・行政の壊滅的状態や政治的脆弱性を十分認識し、同盟国としての価値は小さいと信じるに至った。そして、ポルトガル侵攻のためにスペイン国内にフランス軍を配備することを強く主張したが、配備が済むと、ポルトガルへ進軍する兆しを何も見せないままスペイン国内へフランス軍を増派し続けた。スペインの土を踏むフランス軍の駐留はスペインでは非常に評判が悪く、1808年3月にアランフエス暴動(英語版)とカルロス4世の退位という結果をもたらした。
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