カルロス2世崩御と対立の表面化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:50 UTC 版)
「スペイン継承戦争」の記事における「カルロス2世崩御と対立の表面化」の解説
スペインを事実上獲得したルイ14世は、フェリペ5世のフランス王位継承権を保留し、将来の仏西両国の合同を暗示させた。オランダへの牽制としてスペイン領ネーデルランド(現ベルギーならびにルクセンブルクなど)の総督でフェリペ5世の母方の叔父でもあるバイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルの承認を得てフランス軍を駐屯させ、スペインの貿易特権をフランスの貿易会社に譲らせた上、イングランド王位僭称者ジェームズ3世を支持するジャコバイトの支援も行った。 これら一連の行動はイギリスを戦争へと傾かせ、ウィリアム3世は、1701年9月7日にハーグでフランスの勢力拡大を恐れるオーストリア、オランダと対フランス大同盟(ハーグ条約)を結び、フェリペ5世の即位に反対した。 最初はスペインの辺境を我が物にせんとするフランスと、それを押しとどめようとするヨーロッパ各国との戦争の様相であったが、次第にスペインの国内事情がからみ『スペインの内戦』の一面を持つようになった。スペイン国内が一丸となってフェリペ5世即位を支持したわけではなく、政治の中心であるカスティーリャに対し、古くから君主との協約主義を掲げ自治の発達したカタルーニャ及びアラゴン・バレンシアは中央政権に対抗心を持っていたのである。ナバラとバスクはブルボン家支持を表明した。
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