バイヨンヌの譲位
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バイヨンヌの譲位(バイヨンヌのじょうい、スペイン語: Abdicaciones de Bayona)は、1808年5月7日、フランス南部の都市バイヨンヌのマラック城で行われた。フランス皇帝ナポレオン1世は、スペイン王カルロス4世とその息子フェルナンド7世に退位を強要し、自らの支配下に置いた[1]。
この動きは、3月17日から19日にかけて起こったアランフエス暴動(フェルナンド7世が父カルロス4世に退位を迫った事件)と、5月2日のスペイン国内のフランス軍(フォンテーヌブロー条約に基づき駐留していた)の支配に対する蜂起への対応だった。
その後、ナポレオンはスペイン王位を弟のジョゼフ・ボナパルトに譲渡した。しかし、この譲位はフランスへのさらなる抵抗を引き起こし、半島戦争(1808年-1814年) へと発展し、最終的にナポレオン敗北の一因となった。
ナポレオンは最終的にフェルナンド7世を解放し、1813年12月11日のヴァランセ条約に基づき、スペイン王に復位させた。
脚注
- ^ Rocha, Magali Carrillo (July 2011). “Comienzos de una desilusión: noticias públicas y lealismo. Nueva Granada, 1808” (スペイン語). Historia y Sociedad (21): 95–115.
関連項目
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