カニェテ耕地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 20:52 UTC 版)
「カニェテ耕地」とは、ペルーのカニェテ郡(英語版)にあったいくつかの初期の日系移民が働いていたプランテーションの総称である。「カニェテ耕地は日本人のペルー移住史を濃縮している場所」とも言われている。 八木は自著で、カニェテ耕地に入植した日系移民について「その惨状を実見して一生忘れられない、カニェテ移民の歴史は本当に悲劇であつた」と書いている。カニェテでの移民の労働は「監督の命令が厳重、仕事は強く賃金が安い」とし、栄養失調や風土病で多くの移民が死んだとしている。八木がリマで綿花を扱う商売をしていたときに、カニェテから逃亡してきた移民たちの世話をしたと自著に記している。カニェテ移住地を八木が視察したときの逸話を以下のように記述している。 移民の部屋を一巡した。戸のあいておる所は病人がいた、14戸位あいておる所があつた。2ヶ所には死人もいたので筆者は仕事をしている人に「なぜあの死人の葬式をしないのか」と聞いたら、曰く「大抵2、3人一緒に葬式をします。1人の死人に10人位休んだら文句をいわれて大変ですよ」と。《原文ママ》 — 八木 宣貞、八木 (1963, pp. 56) 八木は、またカニェテに葬られた日系移民の墓は牛や馬に掘り返されて、骸骨が野ざらしになっている状態であったと記し、「大昔の若い移民の人々の霊魂を慰めることは後世へ伝える現代の一世達の責任」とした。
※この「カニェテ耕地」の解説は、「八木宣貞」の解説の一部です。
「カニェテ耕地」を含む「八木宣貞」の記事については、「八木宣貞」の概要を参照ください。
- カニェテ耕地のページへのリンク