カシオペア全盛期とは? わかりやすく解説

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カシオペア全盛期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:23 UTC 版)

櫻井哲夫」の記事における「カシオペア全盛期」の解説

櫻井カシオペアでのバンド活動併行して、慶應義塾大学進学デビュー後1979年秋、二足のわらじを履く日々送っていたある日在籍していたゼミ商学部佐野陽子研究会)の仲間ツテ同大学のジャズビッグ・バンド慶應義塾大学ライトミュージックソサエティから就職試験ライブ出演出来ないベーシスト代役頼まれ受諾。そこで出会ったのがそのビッグ・バンド在籍していたドラマー神保彰だった。当時カシオペアドラマー佐々木隆脱退することが決定事項となっていて、神保卓越した才能を見いだした櫻井カシオペア次期ドラマー推薦しカシオペアメンバースタッフ総出神保口説き落としメンバー迎え入れた1982年カシオペア本格的な海外活動開始していく前に当時所属レコード会社アルファレコード計らいで、メンバーバラバラ世界好きなところに一人旅出掛けて海外渡航経験を積むことにした。櫻井ブラジル選んだ1980年代当時カシオペアメンバーは皆、普段聴く音楽ラテン音楽の一ジャンルであるブラジル発祥MPB趣向としていて、とくに櫻井傾倒していたからである。ブラジル音楽好きのその熱意買われて、1986年には音楽誌ADLiB』のインタビューアーとして来日公演中だったブラジル人歌手ジャヴァン対面その際櫻井自身制作中だった初のソロアルバム『DEWDROPS』のデモテープを聴かせたところ、収録曲一つIn The Distance」がジャヴァン気に入られて、翌1987年発表ジャヴァンアルバム『君の瞳は海』にもカバーされることになったまた、この年カシオペアジルベルト・ジル招きによってブラジルライブツアー出掛け現地ジャヴァン再会果たしこの年制作するアルバムPLATINUM』にゲスト参加することも約束され適うことになったこの頃よりヤマハより6弦ベースの「ヤマハTRB」をベースとしたシグニチャー・モデルが製作され、「ヤマハTRB-S」として市販される(現在は廃盤)。

※この「カシオペア全盛期」の解説は、「櫻井哲夫」の解説の一部です。
「カシオペア全盛期」を含む「櫻井哲夫」の記事については、「櫻井哲夫」の概要を参照ください。

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