カシオペア全盛期
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櫻井はカシオペアでのバンド活動と併行して、慶應義塾大学に進学。デビュー後の1979年秋、二足のわらじを履く日々を送っていたある日、在籍していたゼミ(商学部佐野陽子研究会)の仲間のツテで同大学のジャズのビッグ・バンド、慶應義塾大学ライトミュージックソサエティから就職試験でライブに出演出来ないベーシストの代役を頼まれて受諾。そこで出会ったのがそのビッグ・バンドに在籍していたドラマーの神保彰だった。当時のカシオペアはドラマー・佐々木隆が脱退することが決定事項となっていて、神保に卓越した才能を見いだした櫻井はカシオペアの次期ドラマーに推薦し、カシオペアはメンバーとスタッフ総出で神保を口説き落としてメンバーに迎え入れた。 1982年、カシオペアは本格的な海外活動開始していく前に、当時の所属レコード会社、アルファレコードの計らいで、メンバーがバラバラで世界の好きなところに一人旅に出掛けて海外渡航経験を積むことにした。櫻井はブラジルを選んだ。1980年代当時のカシオペアのメンバーは皆、普段聴く音楽にラテン音楽の一ジャンルであるブラジル発祥のMPBを趣向としていて、とくに櫻井は傾倒していたからである。ブラジル音楽好きのその熱意が買われて、1986年には音楽誌『ADLiB』のインタビューアーとして来日公演中だったブラジル人歌手のジャヴァンに対面。その際、櫻井は自身が制作中だった初のソロアルバム『DEWDROPS』のデモテープを聴かせたところ、収録曲の一つ「In The Distance」がジャヴァンに気に入られて、翌1987年発表のジャヴァンのアルバム『君の瞳は海』にもカバーされることになった。また、この年、カシオペアはジルベルト・ジルの招きによってブラジルにライブツアーに出掛け、現地でジャヴァンと再会を果たし、この年に制作するアルバム『PLATINUM』にゲスト参加することも約束されて適うことになった。この頃よりヤマハより6弦ベースの「ヤマハ・TRB」をベースとしたシグニチャー・モデルが製作され、「ヤマハ・TRB-S」として市販される(現在は廃盤)。
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