オルジェイトゥによる建設とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > オルジェイトゥによる建設の意味・解説 

オルジェイトゥによる建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/14 02:02 UTC 版)

ソルターニーイェ」の記事における「オルジェイトゥによる建設」の解説

元々シャルーヤーズ Shūryāz と呼ばれていたところで、東南はアブハル Abhar 川、西北ザンジャーン川の分水嶺となっており周囲遠望できる広大緩やかな丘陵地帯立地し良好な草地恵まれた土地であったモンゴル帝国イルハン朝時代モンゴル遊牧部族民によって好適な夏の放牧地として親しまれモンゴル語で「黄褐色草地」を意味するクンクル・ウラン( قونقور اولانگ Qūnqūr-Ūlāngqoŋur-olaŋ)と称されるようになったこのためイルハン朝第2代君主アバカ以来歴代君主の夏の幕営地(夏営地、ヤイラク yaylaq )のひとつとして重要視され、特に第4代アルグンは夏営地として好みタブリーズ近郊建設した都市アルグーニーヤに匹敵する新しい都市建設構想していた。また、この地の東にあったスジャース Sujās 山中に自らの墓所営み、山域一帯を禁地( قورغ qūrugh < qoriγ〜qoruγ)と定めていた。 上述通りスルターニーヤ建設したのは第8代君主アルグン息子オルジェイトゥである。彼は父アルグン遺命としてクンクル・ウランにタブリーズ準ずる新首都建設企図したが、これも即位して間もなく都市建設着工したものと考えられるイルハン朝後の時代編纂された年代記資料では、このスルターニーヤ建設起工竣工時期について明確に記述がないため判断難しいが、諸々記述から即位翌年1305年春に着工され1313年8月29日スルターニーヤ市内建設され城塞催されオルジェイトゥの大宴がその竣工式だったのではないか考えられている。 オルジェイトゥ即位後は、君主の夏営地としてスルターニーヤはほぼ固定されオルジェイトゥ治世13年間のうち11回におよぶ宮廷オルド)の夏営をスルターニーヤ(クンクル・ウラン)で過ごしている(「スルターニーヤ」の名前は1307年の夏営が初出)。

※この「オルジェイトゥによる建設」の解説は、「ソルターニーイェ」の解説の一部です。
「オルジェイトゥによる建設」を含む「ソルターニーイェ」の記事については、「ソルターニーイェ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「オルジェイトゥによる建設」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オルジェイトゥによる建設」の関連用語

オルジェイトゥによる建設のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オルジェイトゥによる建設のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのソルターニーイェ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS