オルストンのスモールボール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:59 UTC 版)
「ロサンゼルス・ドジャース」の記事における「オルストンのスモールボール」の解説
ドジャー・スタジアム完成の頃、ドジャースは長打力がないためウォルター・オルストン監督の下で、投手力・守備力・機動力を重視したチームを作り上げていた。攻撃力は今ひとつだったが、チームの中心にはサンディ・コーファックスとドン・ドライスデールの絶対的な投手の二枚看板がいた。コーファックスは1960年代にサイ・ヤング賞を3度獲得し、ドライスデールも1962年のサイ・ヤング賞をはじめオールスターゲームに8度出場、1968年には当時のMLB記録となる58回2/3イニング無失点記録を樹立するなど輝かしい実績を残している。当時のドジャースは、「足の速いモーリー・ウィリスが出塁して盗塁、内野ゴロと犠牲フライで彼を迎え入れた後は、コーファックスかドライスデールが相手を完封して1-0で勝利」という勝ちパターンがまことしやかに語られていたほどだった。 特にコーファックスは1963年のワールドシリーズで、ヤンキースを相手に1試合15奪三振を記録するなど、1960年代のドジャースのワールドシリーズ制覇に幾度も貢献したが、左肘の故障を理由に1966年に30歳の若さでユニフォームを脱いだ。オルストンは1976年まで通算23年間ドジャースを率い、通算7度のリーグ制覇をドジャースにもたらした。
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