オプ・アートの作家たちと流行
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「オプ・アート」の記事における「オプ・アートの作家たちと流行」の解説
オプ・アートの源流として、また理論的支柱として、ジョセフ・アルバース(en:Josef Albers)の名を抜かすことはできない。彼が1949年以来描きつづけてきた「正方形へのオマージュ」シリーズは、色彩の明度対比、相互干渉効果についての極限的な実験であったし、1963年に出版された Interaction of Color (邦訳『色彩構成:配色による創造』)はオプ・アートはもちろん、広く現代美術全般にとっての古典でもある。 錯視効果などを利用する抽象画家を一堂に取り上げ、オプ・アートに対する世間の認知を一気に高めたのは、1965年のニューヨーク近代美術館の展覧会“The Responsive Eye”(「感応する眼」展)であった。しかしそこで紹介された作家たちは、この時点ではすでに、その様式を確立していた。なかでも最も早くからオプ・アートに取り組んでいたのが、ヴィクトル・ヴァザルリ(en:Victor Vasarely 1906-97)である。彼が1930年代から発表している「シマウマ」シリーズのなかには、彼のオプ・アート作品の萌芽といえる作品がすでに見られる。もう一人の主導的作家であるブリジット・ライリー(en:Bridget Riley 1931-)はヴァザルリより一世代若いが、彼女でさえ1960年代前半にすでに個展を開いていた。 オプ・アートはさらに、ライリーが1968年のヴェネツィア・ビエンナーレで絵画部門国際賞を獲得するなどして一層の注目を集め、また1960年代後半のファッションやインテリア・デザインなどの商業美術、デザイン業界などに非常に大きなブームを巻き起こした。その隆盛ののちに沈静化したと論じられることもあるが、それはあまりに急速な隆盛であったがためにそう見えるという側面もあるだろう。ライリーは今日でも人気作家であり続けているし、オプ・アートへの「大衆的支持」は20世紀美術のなかでは抜きんでている。ライリーは1965年に、自らの作品が服飾のデザインに盗用されたとして訴訟を起こしたほどである(敗訴)。印刷技術が向上した今日では、良質の複製画が安価に購入できるようになっており、オプ・アートは「インテリア作品」としても人気がある。また、コンピューターの普及により、デジタル・アート作品としての可能性も広がってきている。
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