オズワルド時代の終焉、新たなキャラクター探し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:12 UTC 版)
「ウォルター・ランツ」の記事における「オズワルド時代の終焉、新たなキャラクター探し」の解説
ユニバーサルのレムリ一族による家族経営は経済的困難のため1936年終わりを迎えた。そしてジョン・チーバー・カウディン(英語版)が新社長に就任した。経営者の変化を機に、ランツはユニバーサルから独立して自身のカートゥーン・スタジオを設立する許可を得る機会を得た。ユニバーサルはこれに同意し、1935年11月16日、ウォルター・ランツ・プロダクションズが誕生した。 この頃、オズワルドの人気は大いに低下しており、ランツはこれに変わる新しいキャラクターを探し始めた。ランツとそのスタッフが考案した「Meany, Miny, and Moe」(3匹のチンパンジー)、「Baby-Face Mouse」、「Snuffy Skunk」、「Doxie」(ダックスフント)、「Jock and Jill」(ワーナー・ブラザースのボスコ(英語版)に似た猿)は成功を収められなかったが、アンディ・パンダの最初の作品Life Begins for Andy Pandaは成功し、1938年の作品が最後の出演となったオズワルドの代わりとなった。この頃から、ランツは全ての作品をカラーで制作するようになった。この頃以降の作曲家としては、ジェームス・ディートリッヒ、ナット・シルクレット(ビクター・レコードのプロデューサー)、ハーマン=アイシング出身のフランク・マーサル、ダレル・カーカーがいる。ダレル・カーカーのアレンジは独特のスイングの趣で注目された。 1940年、スタジオは大きな問題を抱えていた。ユニバーサルは再び深刻な経営難に陥り、破産の可能性すらあった。そのため、ユニバーサルは毎週ウォルター・ランツ・プロダクションズに支払っていた前払い金をカットすると決定した。これにより、ランツは代替の資金源を奪い合い、少しの間スタジオを閉鎖しなければならなくなった。ランツはキャラクターたち(オズワルドを含む)の権利を得ることができた。アンディ・パンダのCrazy Houseはランツにとってユニバーサルから完全に独立した状態で作られた初めてのカートゥーンだった。ランツはこの作品を経営陣へ最後のアピールとして提示し、最終的には満足のいく合意に到達することができた。1940年秋、スタジオは業務を再開した。
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