オオシモフリエダシャクの表現型頻度の増減
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 01:06 UTC 版)
「工業暗化」の記事における「オオシモフリエダシャクの表現型頻度の増減」の解説
暗化型の増加はヨーロッパと北アメリカのオオシモフリエダシャク個体群でおきた。暗化型個体の割合の増加に関する情報は乏しいが、その後の暗化型個体の割合の低下については、より詳しく調べられている。 産業革命の前は、オオシモフリエダシャクのほとんどは、明るい地にわずかな黒いまだら模様を持つ淡色型ばかりだった。黒いオオシモフリエダシャク個体の最初の標本は、1811年以前の由来不明のものである。暗化型(f. carboniana)と見なせる最初の個体は、1848年にマンチェスターで捕獲されたものである。16年後の1864年にはR.S.エドルストンによる報告がある。エドルストンは1864年までにマンチェスターの彼の庭では黒い個体がより普通に見られるようになったと述べた。スチュワードは地域ごとのオオシモフリエダシャクの最初の記録についてデータを集め、暗化型個体は一つの突然変異体に由来し、その後各地に分散したものだと推測した。1895年までにマンチェスターにおける暗化個体の頻度は98%にまで達した。 現代ではヨーロッパと北アメリカのより厳しい大気環境基準によって、汚染は減少し、それにともなって、1962年から現在に至るまで暗化型の頻度は着実に減少している。暗化型個体の減少は、科学研究の厳格化もあり、増加したときよりも正確に調べられた。特にバーナード・ケトルウェル(en:Bernard Kettlewell)は1956年に全国的な調査を行った。1996年には同様の調査をブルース・グラントが、2003年にはL.M.クックが行った。 同様の結果はアメリカでも観察された。日本では暗化型の蛾は見つかっていない。これは日本のエダシャク蛾が工業化された地域に生息していないからだと考えられている。
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