エリート時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 05:01 UTC 版)
「ヴィアチェスラフ・エキモフ」の記事における「エリート時代」の解説
1990年、前橋で開催された世界選手権・プロ個人追い抜きを制覇。世界選手権においては、翌1991年のプロポイントレースも制覇した。ここまでは主にトラックレースにおける活躍が中心だったが、1990年にツール・ド・フランス初出場を果たし、以後2006年まで15回の出場を果たすことになる。そして、ツール出場を契機に、ロードレースへと完全に重きを置くようになった。1992年にはチューリッヒ選手権を制覇。1997年にはロシア国内選手権ロードレースを制覇。1998年、ロンド・ファン・ネーデルランド総合2位などの実績を残す。 2000年、ランス・アームストロングがエースである、USポスタルサービスに移籍。その年行われた2000年シドニーオリンピック・ロード個人タイムトライアルにおいて、チームメイトのアームストロングや、ドイツのヤン・ウルリッヒといったビッグネームを破って金メダルを獲得。また、ツールではアシスト役として、アームストロングの連覇更新に貢献した形となった。 2002年、一旦引退を表明しロシアのチームで指導にあたることになっていたが、ツール直前に復帰した。この時点では真相に口をつぐんでいたが、引退後のインタビューによると健康診断で内臓機能の悪化が明らかになったために休息をとっており、復帰と指導者両面の道を模索していたという。 2003年には、パリ〜ルーベで3位に入る。 2004年に行われたアテネオリンピックの個人タイムトライアルを制覇。 2006年、40歳となったエキモフは、この年のツールにおいて15回目の出場および完走を果たしたが、これはヨープ・ズートメルクの16回に次ぎ、ルシアン・バンインプと並ぶ記録である。同年に引退。その後ディスカバリーチャンネルチームのスタッフとなった。
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