エヒバチ長根窯跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > エヒバチ長根窯跡の意味・解説 

エヒバチ長根窯跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 03:00 UTC 版)

茂谷山 (能代市)」の記事における「エヒバチ長根窯跡」の解説

茂谷山北東ため池近くには、エヒバチ長根窯跡がある。これは、鎌倉時代前半窯跡で。昔からすり鉢(エヒバチ)に似た破片が見つかり、エヒバチ長根呼ばれていた。発掘調査では標高70 - 75 mの斜面南北方向掘られた3基の窯跡確認されており、生産され器種は、甕、鉢、片口鉢、四耳壺から経筒容器など8種ほどである。 この規模の窯を維持するためには、有力な支配者経済基盤存在した思われるが、ほぼ同時期にこの近辺での山岳仏教の盛地であった高岩山からは、径甕(秋田県指定文化財)や四耳壺出土している。また、茂谷山付近には更に「瓶長根」や「瓶ノ沢」という地名があるという。 昔、この地の住民茂谷山付近茂谷沢へ山仕事出て腹が空いた時には山芋掘り山腹捨てられているエヒバチ(擂鉢)の破片山芋おろして食べていたという。このことから、少なくとも江戸時代末期から明治時代初期には住民はエヒバチの破片捨てられていることを認識していた。発見され当時には、最北須恵器窯跡であったその後十三湊安東氏関連遺跡から出土した須恵器蛍光X線分析法で、この遺跡からのものであることが判明し遺跡調査機運盛り上がり1988年昭和63年10月発掘調査が行われた。14本のトレンチ調査が行われ、3本窯跡発見された。既に持ち去られてしまい「昔に比べれば無いも同然とは言え土器片が大量に発掘された。考古学磁気年台検査によれば1230年寛喜2年) - 1245年寛元3年)±20年頃に作られたものであるという(12 - 13世紀年代測定100年ほど新しくなる可能性示唆されている)。 出土した須恵器能代市二ツ井町歴史資料館展示されていたが、歴史資料館高速道路建設のために閉館になったその代わり高岩山から発掘された経甕は新しく建設され道の駅ふたつい展示されている。 本窯から出土された陶器は、高岩山の五輪経塚の他、二ツ井町切石大倉遺跡大館市前田遺跡十二所舘跡、長森遺跡雄物川流域では秋田市河口城の下タ野遺跡や、横手市閑居長根経塚山形県飽海郡遊佐町の大遺跡少数ながら確認できる一方本窯同時期と比定される大館市矢立廃寺跡から出土した陶器珠洲製品とされる

※この「エヒバチ長根窯跡」の解説は、「茂谷山 (能代市)」の解説の一部です。
「エヒバチ長根窯跡」を含む「茂谷山 (能代市)」の記事については、「茂谷山 (能代市)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「エヒバチ長根窯跡」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エヒバチ長根窯跡」の関連用語

エヒバチ長根窯跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エヒバチ長根窯跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの茂谷山 (能代市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS