エップスへ売り払われる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:23 UTC 版)
「ソロモン・ノーサップ」の記事における「エップスへ売り払われる」の解説
エップスは、ノーサップが解放される1853年までの約10年間、アボイルズ郡で彼を働かせた。エップスは残酷な主人であり、しばしば無差別に奴隷を痛めつけては馬車馬のように働かせた。彼の方針は、大量の綿花摘みなどの日課を奴隷に課し、達成できなかったときには鞭で打つというものだった。ノーサップは、エップスの農園では日の入りから日の出まで毎日鞭打ちの音が鳴り響いていたと回想している。エップスは、若い奴隷女性のパッツィ (Patsey) を陵辱し、繰り返しレイプしていた。これは、農園の女主人だったエップスの妻が肉体的・身体的暴行を行う一因にもなった。 1852年、移動労働者のカナダ人大工サミュエル・バス(英: Samuel Bass)が仕事のためエップスの農園を訪れた。バスの奴隷制度廃止運動家としての考え方を聞いたノーサップは、彼に秘密を打ち明けることを決めたが、ノーサップが自由黒人だった身の上や本名を話したのは、奴隷にされて以来バスが初めての人間だった。バスはノーサップが書いた手紙を投函しただけでなく、彼が助けを得られるよう、ノーサップがバイユー・バフにいるという手紙を自ら書き、ノーサップが挙げた彼の友人宛に送った。 地元の人間は、個人の所有物でもある奴隷を助けて逃がそうとする人間を快くは思わなかったので、バスの行動には大きな個人的リスクが存在した。加えてバスの手助けは、奴隷の逃亡を助けた人物に連邦政府が課す罰則を強化した1850年(英語版)逃亡奴隷法の成立後に行われている。
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