エクソダスとメタリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:14 UTC 版)
「ベイエリア・スラッシュメタル」の記事における「エクソダスとメタリカ」の解説
記録された初めてのベイエリア・スラッシュシーンのルーツは、1980年のエクソダス結成まで遡る。エクソダスがアルバムを4枚リリースするまでに、5人のギタリストとベーシストが入れ替わっており、この脱退したメンバーの中にはエクソダス同様、急成長するベイエリア・シーンの一翼を担うようなバンドを結成する者もいた。1982年の11月、エクソダスはサンフランシスコのOld Waldorfでのライヴでメタリカのオープニングアクトを務めている。当時、メタリカは南カリフォルニア出身のまだ比較的無名なバンドであり、ブライアン・スラーゲルに見出されて、彼が企画するMetal Massacreというコンピレーションアルバムの第一弾に参加したばかりであった。エクソダスはこの年、ギタリストにカーク・ハメットを擁したラインナップでデモを発表している。新しいムーヴメントが始まっているんだ、という意識は当時のシーンでもあったのかと問われて、エクソダスのゲイリー・ホルトは次のように答えている。 「 うん、あったね。もちろん俺たちもただやりたいことをやっているだけのガキで、それほど深くは考えていなかったけど、新しいムーヴメントの一部なんだという自覚はあったね。80~81年の時点でスラッシュメタルをプレイしているなんてクレイジーなことだったし。 」 メタリカは最初、ロサンゼルスで結成されたが、1983年の2月には東海岸に拠点を移している。この前後に、クリフ・バートンとカーク・ハメットがそれぞれベーシストとリードギタリストとして参加しており、これが1stアルバムを発表する時のラインナップとなっている。メタリカはオールバニ・ヒル(英語版)近郊のエルサリートに位置するCarlson Blvdにあった家に引っ越したが、ここは元エクソダスのマネージャーのMark Whitakerが貸してくれた場所であった。この年にムステインがクビになったので、Whitakerの勧めで元エクソダスのギタリストであったハメットが後任として参加。一方のムステインは、ロサンゼルスに戻ってメガデスを結成している。 このWhitakerの家でメンバーが暮らしている間に、メガフォース・レコードとの契約も、ファーストアルバム『キル・エム・オール』のリリースも、『ライド・ザ・ライトニング』と『メタル・マスター(英語版)』の作曲やリハーサルも行なわれている。
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