エカチェリーナ2世との出会い
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「グリゴリー・ポチョムキン」の記事における「エカチェリーナ2世との出会い」の解説
1739年9月13日(ロシア暦)/9月24日(グレゴリオ暦)、スモレンスク県、チジョヴォ村(ロシア語版)生まれ。1762年、当時のピョートル3世を廃位したクーデター(ロシア語版)に、23歳で近衛連隊の一員として参加した。36歳の時に10歳年上のエカチェリーナ2世と結ばれ、家庭には恵まれなかったエカチェリーナの生涯唯一の真実の夫と言うべき男性で、私生活のみならず、政治家・軍人としても女帝の不可欠のパートナーとなった。 「エカチェリーナ2世の愛人一覧(ロシア語版)」および「エカチェリーナ2世とグリゴリー・ポチョムキンとの秘密結婚式(ロシア語版)」も参照 1773年に発生した大規模な農民の反乱「プガチョフの乱」では鎮圧に活躍した。その後、「急接近した2人が極秘裏に結婚し、エカチェリーナが46歳の時(1775年)に2人の間には実娘エリザヴェータ・ポチョムキナ(チョムキナ)(ロシア語版)が産まれた。ポチョムキナ(チョムキナ)は後にイヴァン・カラゲオルギ(ロシア語版)将軍と結婚し、その末裔は現在も実在している。」などの説があり、かなり信憑性の高い史料であるエカチェリーナとポチョムキンが交わした1162通もの往復書簡からもそういう事実があった可能性が窺えるが、真相は今も研究が続いている。2人に男女の関係がなくなった後も「妻と夫」であり続け、エカチェリーナの男性の趣味を知り尽くしたポチョムキンが、選りすぐった愛人を女帝の閨房に送り込んでいたという。
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