ウレザンスキ報告書「極貧と経済的・社会的不安定」
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「ジョゼフ・ウレザンスキ」の記事における「ウレザンスキ報告書「極貧と経済的・社会的不安定」」の解説
1974年、ウレザンスキはATD第四世界の運営をジュヌヴィエーヴ・ド・ゴールに任せるとノワジー=ル=グランを離れ、世界各国での活動を牽引する一方、「彼ら(社会的排除者)がバチカン(ローマ教皇庁)、エリゼ宮(フランス共和国大統領官邸)、国際連合、ユネスコ、ユニセフの階段を上って自分の声を届けることができるように」政界に働きかけた。 1979年、政府諮問機関「経済社会評議会」の議員に任命された彼は、長年にわたる調査の結果をまとめ、1987年に「極貧と経済的・社会的不安定(フランス語版)」(通称「ウレザンスキ報告書」)を提出した。彼はこの報告書で、「貧困は人権侵害である」とし、「すべての人々が、恐怖と欠乏から解放されること、そして他のすべての権利に先立って生きる権利をまず強調すべきである」と主張した。また、貧困の概念と密接に関わる「(経済的・社会的)不安定」という概念を職業、家族、社会における自らの義務を引き受けることを可能にし、かつ、基本的権利の享受を可能にするための「保障の欠如」と定義し、このような保障の欠如が深刻な影響を及ぼし、永続的なものとなるときに極貧につながると分析し、したがって、失業保障のない失業者(未就労者、長期失業者)、単身女性、多重債務者、ホームレス、250万人の貧困者に向けた所得保障、住宅保障、医療保障が必要であると訴えた。このウレザンスキ報告書で提言された施策は1988年のRMI(社会参入最低所得手当)制度導入として結実し、さらに、同年、ウレザンスキに代わって経済社会評議会議員に任命されたジュヌヴィエーヴ・ド・ゴールが彼の遺志を継ぎ、さらなる実現に取り組むことになった。
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