ウスタシャの金塊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 10:17 UTC 版)
「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」の記事における「ウスタシャの金塊」の解説
詳細は「アルペリンとバチカン銀行との訴訟」および「w:Alperin v. Vatican Bank」を参照 聖ヒエロニムス・教皇庁クロアチア大学(Pontifical Croatian College of St. Jerome)(バチカン周辺のクロアチアの神学校)に隠れていたウスタシャのメンバーは、多額の強奪された金塊を持ち込んだ。これは後に他のバチカンの治外法権の財産に、そして/或いは宗教事業協会に移された。これらの金塊が2008年の時点で数百万ドルの価値があったとしても、第二次世界大戦中に大半はナチスによって奪われた金塊(Nazi gold)全体のほんの僅かの割合しか占めなかった。フェイヤーによると、「バチカンの最上位の人物は金塊がどこに在るのかを知っていた」という。 ウスタシャの生存している被害者やカリフォルニア州在住の次世代の親族がアメリカ連邦裁でバチカン銀行等を相手取って「アルペリンとバチカン銀行との訴訟」(Alperin v. Vatican Bank)という複雑訴訟形態を起こした。特に、宗教事業協会は「ウスタシャの資金を洗浄しヨーロッパや北米と南米に預金を作った容疑と、パヴェリッチ本人を含めて逃亡したウスタシャの指導者達に資金提供した」容疑で告訴された。バチカンに対する主要な証拠の断片は、アメリカ合衆国財務省の財務調査官ハロルド・グラッサー(Harold Glasser)にエマーソン・ビゲロウから1946年10月16日に送られた「ビゲロウの派遣」である。元戦略情報局のエージェント、ウィリアム・ゴーウェンも同様に専門家として宣誓を誓い、1946年にイヴァン・バビッチ大佐がスイスから教皇庁大学に10トンの金塊を運んだと証言した。全ての容疑は退けられた。
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