ウィリアム・キャヴェンディッシュとの結婚
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「マーガレット・キャヴェンディッシュ」の記事における「ウィリアム・キャヴェンディッシュとの結婚」の解説
ウィリアムとマーガレットは1645年の末にパリで結婚し、マーガレットはニューカッスル侯爵夫人となった。マーガレットは、責任感があって忠実な性格の夫を大変愛していたと述べており、王に政治的な忠誠を誓ったせいで自分もキャヴェンディッシュ一家も苦しい立場に追い込まれたが、夫のこうした性格のおかげで耐えることができたと言っている。マーガレットは不妊について医師に相談していたものの、夫妻には子供ができなかった。 ウィリアムと亡き妻エリザベスの間には成人に達するまで成長した子供が5人おり、そのうちの2人であるジェーン(英語版)とエリザベスは父同様演劇に関心があり、戯曲『かくれた空想』(The Concealed Fancies)を書いている。 マーガレットは後に夫の伝記である『いとも尊く、気高く、強き貴公子ウィリアム・キャヴェンディッシュの生涯』(The Life of the Thrice Noble, High and Puissant Prince William Cavendish)を書いている。夫への献辞で、マーガレットは自作の著者が本当にマーガレット自身であるのかについて疑いがかけられ、特に夫が陰の作者なのではないかという噂が流れた時のことについて語っている。こうした非難の中で夫が自分を擁護してくれたということを回想している。 一方でマーガレットは、文筆活動を始めるにあたって作家である夫から大きな支援を受けており、その影響を率直に認めている。ウィリアムが幅広い文人たちと交流を持っていたことから、マーガレットもそうした知識人のネットワークに触れることができるようになった。1662年に刊行した戯曲集の序文において、マーガレットは夫に対して「あなたの機知のおかげで、私の心に戯曲を書きたいという欲望が生まれました」という感謝の意を述べている。マーガレットは自分の著作において、「印刷という公共圏において互いを頼りにする夫と妻というイメージを作り上げている」評されている。 内戦中のキャヴェンディッシュ家の家計は苦しかった。王政復古の後は若干好転はしたものの、ウィリアムはチャールズ2世からそれほど大きな報奨を受けることはできなかった。
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