イースター蜂起と独立戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:44 UTC 版)
「アイルランドの歴史」の記事における「イースター蜂起と独立戦争」の解説
1914年9月、第一次世界大戦の勃発に際してイギリス議会はアイルランド自治法を成立させたが、当初この大戦は短期戦に終わると予想されたため、施行は一時停止された。大戦が終結するまでにイギリス政府は2度にわたり法律の履行を試みたが、アイルランドではナショナリストとユニオニストの両者ともにアルスター地方の分離に反対した。 1916年にはドイツの支援を受けたアイルランド義勇軍によりイースター蜂起が企てられた。不十分な計画のまま開始されたダブリン市内での蜂起は英軍によりただちに鎮圧されたが、英軍の軍法会議により首謀者が即刻処刑されたため、蜂起を企てたナショナリストへ同情が集まった。徴兵の導入が検討されるようになると、ナショナリストへの支持がさらに増した。戦後の1918年12月に行われたアイルランド総選挙では、イースター蜂起に関与したとされたシン・フェインが議席の4分の3を獲得した。翌1919年1月21日に開催されたアイルランド共和国議会(ドイル・エアラン)では自らの権限がアイルランド島全域に及ぶと宣言した。 国際法上はイギリス統治下にとどまっていたことに不満を持つナショナリストは、1919年から1921年にかけてのアイルランド独立戦争(英愛戦争)でアイルランド駐留英軍に対してゲリラ攻撃を行った。1921年にアイルランド側代表、イギリス政府は休戦に同意し、12月には英愛条約が調印された。これらの交渉には独立戦争の英雄であるアーサー・グリフィスとマイケル・コリンズなどがあたった。条約により南アイルランドにイギリス連邦下のアイルランド自由国が成立したが、アルスター地方のうち6県は北アイルランドとしてイギリスの直接統治下にとどまることになった。現在も続く北アイルランドの帰属問題は、この条約に始まっている。
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