インドネシアのIOC脱退とGANEFOとは? わかりやすく解説

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インドネシアのIOC脱退とGANEFO

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:18 UTC 版)

新興国競技大会」の記事における「インドネシアのIOC脱退とGANEFO」の解説

開催のきっかけ1962年8月ジャカルタ開催され1962年アジア競技大会インドネシア政府の方針イスラエル中華民国招待されなかったことが問題となったことによる当時インドネシア大統領スカルノアラブ諸国への宗教的親近感、特に社会主義国家建設における中華人民共和国への親近感明らかにしていた(北京ジャカルタ枢軸)。1961年インドネシア国連から脱退し中国とともに第二国連構想進めており、後の1965年には中国新興勢力会議CONEFO)を結成することになる。 このような方針政治スポーツから切り離すように努めてきた国際オリンピック委員会IOC)の理念抵触するものであったまた、中華人民共和国中華民国IOC加盟国として存続することを否定していたためにIOCから脱退した状態であった。そこでIOC国際陸上競技連盟 (IAAF)、国際ウエイトリフティング連盟 (IWF) は第4回アジア大会正式競技大会としては認めないとの方針表明した1962年12月中華人民共和国インドネシアアジア・アフリカ新興国競技大会開催準備するとしてIOC牽制する共同声明発表した1963年4月にはIOCインドネシアIOC加盟国としての資格停止オリンピック出場停止)を決議、これに対抗しアラブ諸国12ヶ国が1964年東京オリンピックボイコット示唆するなどの対立強まったインドネシアIOC脱退し同年4月28日には社会主義国アラブ諸国アフリカ諸国呼びかけオリンピック対抗しうる総合競技大会開催することを発表し当初中華人民共和国・インドネシア・カンボジア・イラク・ギニア・マリ・パキスタン・北ベトナム・ソビエト連邦10カ国だったが、同年11月にはさらに36カ国も参加した。 そこで、IOCや、IAAF国際水泳連盟FINA)といった国際競技連盟(IF)はGANEFO出場する選手資格停止されオリンピック参加する資格を失うと宣言した

※この「インドネシアのIOC脱退とGANEFO」の解説は、「新興国競技大会」の解説の一部です。
「インドネシアのIOC脱退とGANEFO」を含む「新興国競技大会」の記事については、「新興国競技大会」の概要を参照ください。

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