インドでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/05 04:51 UTC 版)
「リチャード・ボイル (技術者)」の記事における「インドでの活動」の解説
1853年、東インド鉄道(英語版)の県技術者に任命された。当初パトナに駐在し、そこからアラー(英語版)、シャハーバード(英語版) に派遣された。インド大反乱勃発の際に名誉ある活躍を果たす。1857年7月末になる頃、アラーから約40km離れたダナプール(英語版)の宿営地にいた地元兵が反乱を起こし脱走すると、ボイルは自宅と同じ敷地にあった2階建1.5坪の一軒家を要塞化し、反乱に堪えるため食糧を供給した。7月26日には、ヨーロッパ人16名、シク教徒約5名がここに避難したが、翌朝反乱軍がソン川(英語版)を渡りアラーを占拠し、家も包囲された。しかし、シク教徒等の勇気と忠誠に支えられ、住民等は8月2日まで約3000人を相手に家を守り切ることに成功し、同日ブクサールからヴィンセント・エア(英語版)少佐率いる援軍が接近すると、反乱軍は撤退し、家は包囲から解放された。その結果、ボイルはエア軍の佐官に任命され、通信や橋の復旧に従事することとなった。数日後、馬に蹴られ仕事を行えなくなる。一応の快復を見ると、コルカタに召喚されたが、蒸気船リバーバード号でガンジス川を下る途中、シュンドルボンで座礁した。療養のためペナン、シンガポールへ船旅に出た後、1858年初頭にアラーに戻った。かかる働きに対し、暴動勲章(英語版)とアラー近くの土地を与えられた。1868年、インド鉄道会社を離れ、インド公共事業局 (英語版)の一級技官になるが、間もなく個人的事情によりイングランドに呼び戻された。1869年、インドの星勲章を叙勲された。 この間、1854年1月10日にイギリス土木学会の準会員、1860年2月14日に正規会員となった。
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