イマーム・フサインの役割とその時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:07 UTC 版)
「十二イマーム派」の記事における「イマーム・フサインの役割とその時代」の解説
イマーム・フサインはムアーウィヤの時代には兄であるイマーム・ハサンと同じ理由により、ジハードに着手するのはイスラーム社会のためにならないとみなした。ムアーウィヤが死去し、イマーム・ハサンとの講和文書の項目に反して自らの子のために人々から忠誠の誓いを取り付けると、諸状況は一変した。イマーム・フサインはムアーウィヤの息子であるヤズィードがカリフとなることを認めず、バイア(臣従の誓い)を拒否した。同時期、アリーがかつて治めていたクーファから、指導者として来て欲しいという旨の手紙が来たために、それに応じて一族郎党を連れイラクへ向かった。ところが、クーファの民とフサインの叛意はウマイヤ朝の知るところとなり、クーファの町は平定され、フサインの一族はカルバラーで包囲され、戦闘の後、一族もろとも殺害された。胴体から切り離されたフサインの頭部はまずクーファに運ばれ、ヤズィードに差し出された。イマーム・フサインは彼の兄弟、モハンマド・ハナフィアに遺言をしたためて、自分の行動について次のように述べている。 「我が行動と革命の動機は、人間的欲望や嗜好のためではない。我が目的は堕落腐敗や圧制のためではなく、わが祖父すなわち預言者の信者共同体(ウンマ)が紊乱した状況を改善すること、勧善禁悪のためである」 イマーム・フサインの決起は、腐敗したカリフ機関に対する最初の集団的武装蜂起であり、イスラームとカリフ機関を別のものとして考える原因となった。
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