イマーム・マーリクの下での修行
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「ムハンマド・ブン・イドリース・シャーフィイー」の記事における「イマーム・マーリクの下での修行」の解説
シャーフィイーは、マディーナへ行って、さらなる法学的研鑽を積もうと考えた。当時マディーナ遊学は知識を得るためによく行われていたことであった。彼がマディーナへと発った時期については諸説あり、一説では13歳とされるが、別の一説では20歳代の頃の話だという。シャーフィイーはマディーナでマーリク・ブン・アナスに弟子入りして、何年もの間マーリクと共に学んだ。マーリクは弟子の記憶力、知識、知性に舌を巻いた。マーリクが亡くなった頃(179 AH/795 CE)には、シャーフィイーは既に法学者として輝かしい評判を得ていた。シャーフィイーは後に、法学上の諸問題について、マーリクの見解に異を唱えることになるが、それでもマーリクを常に「師匠」と呼んで深い尊敬を示した。
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