イマーム・レザーの役割とその時代
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「十二イマーム派」の記事における「イマーム・レザーの役割とその時代」の解説
イマーム・ムーサー・カーズィムが殉教した後、第八代イマーム・レザーの時代が始まった。アリー・リダーは、シーア派12イマーム派を国教とするイランではイマーム・レザーとして知られているため、ここではイマーム・レザーとする。イマーム・レザーの時代には、アッバース朝カリフ・マアムーンの招聘によって世界中の諸宗教や諸理念の大家や学者たちとの公式討論会が執り行なわれた。イマーム・レザーもこの会に参加し、これによって多くの人たちがイスラームとシーアに入信した。 イマーム・レザーの時代である20年間のうち10年はハールーンがカリフの位にあった時期であった。第八代イマームはこの期間、信仰隠しで過ごした。この時期は第四代イマーム・サッジャードの時代と類似していた。つまり、たとえアリーの後裔であるセイイエド達の蜂起がなお続いており、イマーム個人が彼らの支えであったとしても、第七代イマームから間を置かずしてその急進的な立場を繰り返すことは不利であった。次の8年はアミーンとマアムーンがカリフの時代であった。この期間は支配を巡って多くの争いがあり、こうした条件下で、イマーム・レザーは活動を拡大することができた。多くの人々がシーア派に改宗した。それを見たカリフ・マアムーンは、イマーム・レザーに皇太子の地位を進言したが、イマーム・レザーはそれと闘ったが、最終的には条件付きで受け入れた。その条件は例えば、カリフ・マアムーンがイマーム・レザーの仕事をイマームの名のもとで為したり、非合法的な統治を正当化することがないように、イマームの統治や司法、任官罷免に干渉しないことであった。イマームは、初めから自分の立場を表明した。彼の皇太子位のために用意された集会での最初の演説で、統治は自分の明らかなる権利であると明白に宣言し、カリフよる強奪を言明した。イマームが皇太子であった期間は一年あまりしか続かなかったが、この間、イマームは活動を続け、ついにカリフ・マアムーンはイマーム・レザーを殉教させた。
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