イスラム教とフリーメイソンリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:14 UTC 版)
「フリーメイソン」の記事における「イスラム教とフリーメイソンリー」の解説
一部にメイソンをメシア僭称者とする批判もあるものの、多くのイスラム教徒の反メイソン議論は、反ユダヤ主義や反シオニズムとリンクしている。反メイソンのムスリムによると、メイソンは、全世界のユダヤ人の利益を促進し、エルサレムに黄金のドームを破壊してのソロモン神殿の再建を推し進めるものである。また、ハマースによる1988年の抵抗運動の定義第28章の記述によると、メイソンやロータリークラブやライオンズクラブその他の謀略グループは、シオニズムの利益を図り、その指示に従っている。イスラム教徒が多数を占めている多くの国々では、管区を伴ってのメイソンリー設立は許されていないが、トルコやモロッコのような国では、グランドロッジが設置されており、マレーシアやレバノンのような国では、他国のグランドロッジ傘下の支部グランドロッジが存在する。 パキスタンにおいては、1972年に当時の首相ブットーがフリーメイソンリーを追放し、そのすべての印刷物を差し押さえている。イラクは、第一次大戦後、英国の委任統治領となり、その前後には英連邦メイソン(UGLE)も進出したが、1958年のイラク革命によって、関係は逆転し、立憲君主制は廃止され、アブドルカリーム・カーシムによって、共和政が宣言された。そして、ロッジにおける会合の許可証は廃止され、その後の法律ではさらに進んで、あらゆる形での会合の禁止が導入された。その姿勢は、その後サッダーム・フセインの下で強化され、「フリーメイソンリーを含むシオニストの方針を推進する者や、シオニスト組織に関係する者」は誰であれ死刑が定められた。(ただし、ブットはその後クーデターで、フセインも米軍のイラクの自由作戦で共に拘束され、処刑されている。)
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