イギリス征服以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 07:27 UTC 版)
「イギリス統治下のビルマ」の記事における「イギリス征服以前」の解説
その地理的位置ゆえに、中国とインド間の交易路がこの国を通っていた。ビルマは交易を通して富を得ていたが、一方では自給自足的な農業が依然として経済の基礎となっていた。インドの商人たちは沿岸と河川(イラワジ川(エーヤワディー川)が特筆される)を通ってビルマ人の住む土地の多くに足を運び、インド文化は国の隅々に持ち込まれ、その影響は今なお残っている。ビルマは大々的に仏教を取り入れた東南アジアの最初の国のひとつであり、英国統治下でも人口の大半にとっての公的信仰だった。 イギリスによる征服と植民地化の以前、コンバウン王朝が確立された中央集権化された支配を行っていた。王はすべての事柄についての最終的な決定権を持つが、新たな法律は作れず、勅令を出せるだけだった。国には法典ダムマタッ(英語版)と中央政府フルッタフ(英語版)があり、政府は財政・司法・行政の三部門に分かれていた。 理論上、王は政府の全権の源だったが、実際には王のいかなる命令も、それを政府が受け入れることではじめて実行された。つまり政府は王権のブレーキ役となっていた。国はさらに諸州に分かれており、それぞれ政府に任命された知事に治められていた。村々は王によって認められた世襲の領主達が治めていた。
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