イギリス従属下と併合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:36 UTC 版)
「マラーター王国」の記事における「イギリス従属下と併合」の解説
イギリスは戦後処理として、バージー・ラーオ2世の領土を没収し、カーンプルへ追放した。そののち、マラーター王プラタープ・シングと軍事保護条約を締結し、残りの領土を保有する権利を認め、マラーター王国を藩王国化した(サーターラー藩王国)。 1839年9月5日、プラタープ・シングはポルトガルと陰謀を企てたとして、イギリスによって廃位され、年金受給者としてヴァーラーナシーへと追放された。 1848年4月5日、藩王シャハージーが死亡した。だが、シャハージーはその死に際し、継嗣がおらず、末期養子による相続が認められるかが問題となった。 結局、インド総督ジェイムズ・ラムゼイ (初代ダルハウジー侯爵)は「失権の原理」に基づく形で相続を認めず、1849年5月1日にサーターラー藩王国は廃絶された。
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