イエロー・ジャーナリズムと扇情主義報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 04:26 UTC 版)
「旅順虐殺事件」の記事における「イエロー・ジャーナリズムと扇情主義報道」の解説
「イエロー・ジャーナリズム」を参照 欧米でのジャーナリズム史研究では、旅順の「虐殺」を報道したクリールマンや、掲載された新聞ニューヨークワールド紙がライバル紙と競い合って、イエロー・ジャーナリズムと呼ばれた扇情主義報道を行っていたこと指摘されている。。 ニューヨークワールド紙はピューリツァーによって経営され、ハーストのニューヨーク・ジャーナル(ニューヨーク・モーニング・ジャーナル)紙との扇情主義報道で競争し、両紙はイエロー・ジャーナリズムと呼ばれていた。ニューヨーク・モーニング・ジャーナルやニューヨークワールドの戦争特派員はギリシア、東南アジア、キューバ、南アフリカに派遣され、センセーショナルな報道を互いに競い合った。またハーストは特に日本に対する戦争ヒステリー(War Histeria)を盛り上げるのに精力を傾け、ファシズムや人種的憎悪を育成させ、殺人や婦女誘拐や酔っぱらいの喧嘩や全ての不道徳な行為に対する病的な好奇心を激励させていると非難された ニューヨークワールド紙でのクリールマンの毒々しい旅順での報道は、グアムとフィリピンをスペインから戦勝で獲得することになる4年後の1898年の米西戦争でのスペインへの国民の敵意と国際世論を煽る扇情主義報道の先駆であり、旅順の「虐殺」報道でクリールマンは扇情主義報道のやり方を身につけることとなったと述べている。クリールマンの、毎日のように中国人の男、女、子供の人肉は切り刻まれ、ほとんどの住民は虐殺され尽くされた、とのセンセーショナルな報道は、ゲルヴィルによってそのような虐殺は一切なかったとの反論を受けている。ゲルヴィルはニューヨーク・タイムズで「私は現地にいたが、女性や子供の遺体は一切見なかった。したがってクリールマンたちのいうような虐殺があったことを信じることはできない」と述べた。クリールマンの報道を耳にしたベルギー公使が現地にいたフランスの武官に尋ねたところ、「女子供の死傷者はいない。住民はほとんど避難しており、軍服を脱いだ兵士らがいた」と否定した。ベルギー公使のその後の「虐殺」の否定で日本への誹謗に反論していることから扇動報道だったと指摘されている。
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