アーサー王の戦いとは? わかりやすく解説

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アーサー王の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 21:47 UTC 版)

ブリトン人の歴史」の記事における「アーサー王の戦い」の解説

56章にアーサー王が関わったとされる12の戦い並び立てた詩の要約思われるものがあるが、いくつかアーサー王との関連性がはっきりとしないアーサーが、ブリテン島諸王総力をあげたなかにくわわり、サクソン人戦ったのもこの頃である。より高貴な者も幾多あるなか、アーサー12回において軍事総統dux bellorum) に選ばれ、同じ回数において勝者となった最初におもむいた会戦グレイン(Glein)川河口にて。第2、第3、第4、第5の会戦は、これとは別の川、リンヌイス(小国)(Linnuis)にある、ブリトン人呼び名でドゥブグラス(Dubglas)という川のそばだった。第6はバッサス(Bassas)川。第7はケリドン(Celidon)のでおきた、ブリトン人が「カト・コイト・ケリドン(Cat Coit Celidon)」と呼ぶ会戦だった。第8はグルニオン(castello Gunnion; Gurnion castle)城ちかくだったが、ここでアーサーは自らの肩に聖処女、神母の御神像掲げイエス・キリストと聖マリアの御力を通じてサクソン人たちを敗退せしめ、彼奴等まる一日追討し大殺戮おこなった。第9はカイル・レオン(Cair Leon)と呼ばれるレギオン都市」。第10はトリブルイト(Triburuit)川。11回目は我々がカト・ブレギオン(Cat Bregion)と呼ぶ会戦で、ブレグオイン山(Breguoin; 異本ではアグネト山 Agnet)で行われた12回目は最も激戦で、アーサーがベイドン山中まで突破したであった。この会戦では940人が、神以外の何者手を借りず彼のひとりの手で斃された。ブリトン人は、これらすべての会戦勝利した全能の神の思召しに抗がう力などないゆえに。 — 56章 ここに書かれる戦場は、ほとんど場所の特定ができていない。コイト・ケリドン(英語版)は、スコットランド南部をかつて覆った広大を指すとされるグルニオンとはウィンチェスターの事ではないかとしばしば指摘される。「地域レギオン)の都市」が指すところとしては現イングランド北部チェスターないしウェールズ南部のカーレオン(Caerleon)だと思われている。ブレグオインとは英語に直すと「白き丘」、すなわちダービーシャーのホワイト・ピーク(White Peak)の可能性挙げられている。バドン山についてはイギリス国内いくらでも候補挙がっている。

※この「アーサー王の戦い」の解説は、「ブリトン人の歴史」の解説の一部です。
「アーサー王の戦い」を含む「ブリトン人の歴史」の記事については、「ブリトン人の歴史」の概要を参照ください。

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