アップダウンクイズと小池清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:05 UTC 版)
「斎藤守慶」の記事における「アップダウンクイズと小池清」の解説
高木から社長を引き継いだ直後の1985年8月12日、日本航空123便墜落事故が起こる。日本航空は『アップダウンクイズ』の10問正解者に贈られるハワイ旅行を協賛していたが、事故によるイメージダウンで継続不可能となった。また、2年前の1983年には20年に渡り司会・出題者として出演、番組の顔的存在だった小池清が番組を勇退しており、さらに裏番組として朝日放送(テレビ朝日系)で放送していた『世界一周双六ゲーム』に急速に視聴率を奪われたこともあり、斎藤は1985年10月改編で22年、1084回に渡った『アップダウンクイズ』を終了させた。結果的にこれが、斎藤の社長就任後最初の大仕事となった。 詳細は「アップダウンクイズ#番組の終焉とその後」および「日本航空123便墜落事故#事故後のJAL」を参照 高木体制時代の1984年(昭和59年)、秘書室長となっていた小池は斎藤の下では社長室長、解説委員長を務め「側近」として重用された。1993年(平成5年)に定年退職。完全子会社MBS企画に転出して代表取締役社長となった。 詳細は「小池清#来歴・人物」を参照
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