アイドル的活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:05 UTC 版)
1979年10月2日放送のフジテレビ系特別番組(スポーツバラエティ番組)『第17回 オールスター紅白大運動会』にRCAレーベルの代表の一人として駆り出された時は、出るからには精いっぱい頑張って走り高跳びで第2位になったものの、帰宅して冷静になってからVTRで振り返っていると、「一日何も歌わせてもらえずに私は何をしていたんだろう」と酷く悲しい気持ちになったという。また、1980年7月21日に発売される5作目のシングル曲「二人のバカンス」を歌う予定で日本テレビ系のバラエティ番組『TVジョッキー』に出演した竹内は、大口コンテストというコーナーで天突き棒を使って一般人男性の口の中に大量のところてんを押し出す役を急遽させられる。男の子の口の中にところてんを押し込みながら、「私、何してるんだろう。」「私の人生、こんなことでいいのだろうか。」と疑問が湧き上がってきたという。やや冗談めかしてではあるが、この頃の思いがトラウマになっていて、何十年経ってもバラエティ番組には出演できないと語る。「ミニスカートとタイツで、アイススケートをする私」の撮影や、「お部屋でトーストをかじる私」のグラビア撮影とか、そういった仕事にも戸惑いばかりを抱いていた。 音楽界の頼れる先輩であった山下にもこの件でよく相談に乗ってもらっていた。山下からも「その先に君が望むような未来は無い」と言われた。やがて竹内はテレビ番組への出演を段階的に減らしていったが、踏ん切りを付けることはできないで活動し続けていたところ、いつものように出掛けようとしたある日の朝、急に涙が溢れてきて、そして声が出なくなってしまった。喉(のど)を傷めたとも言っており、とにかく入院する事態に陥ったことから、これを機に考えを切り替え、竹内は一旦芸能活動をリセットした。そうして、結婚相手と決めた山下を支える伴侶としての自分を第一とし、楽曲は提供する側に回って自分に合ったペースで手掛けてゆくことにした。 楽曲を提供する側になった竹内にとっては、アイドル的活動を通して経験した悲喜こもごもは大きな財産になった。作曲者および音楽プロデューサーとしての竹内まりやには、アイドルへの深いシンパシーとリスペクトがあり、それが数々のヒット曲をアイドル歌手に提供できる素地になっている。
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