らぷらた丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 04:22 UTC 版)
作者の石川は、移民促進のための国策会社「海外興業株式会社」が発行する雑誌『植民』編集部で働いたことがあり、1930年には、ブラジルまでの船賃「三等 200 円」の補助金の出る「政府補助単独移民」として移民船「らぷらた丸」で渡伯した。作家志望だったがまだ自信もなく、放浪のつもりでブラジル行きを決めたが、移民志願者が集まる神戸の海外移民収容所で、「国家が養い切れずに、仕方なしに外国へ奉公にやられる人々の悲しい現実」を目の当たりにして衝撃を受け、いつかこれを書かなければならないと思ったという。他の移民たちとともに45日間の船旅ののち、「サント・アントニオ農場」にコロノ(契約移民)として入植し、1か月ほどで農場を去ってサンパウロに滞在し、リオデジャネイロから北米を回って帰国した。『蒼氓』に先立ち紀行文『最近南米往来記』を上梓し、移民政策を棄民と糾弾し、収容所を「国家の無力を物語る国辱的建築物」と表現した。
※この「らぷらた丸」の解説は、「蒼氓」の解説の一部です。
「らぷらた丸」を含む「蒼氓」の記事については、「蒼氓」の概要を参照ください。
- らぷらた丸のページへのリンク