武烈天皇
仁賢天皇の崩御後に高御倉(たかみくら)を泊瀬列城宮に設けて即位した。
皇后には春日娘子をたてた。
武烈天皇にはいろいろな説話があり、その説話は大連の物部麁鹿火の娘の影媛と大臣の平群真鳥臣の子の鮪との間に入り横恋慕して嫉妬し、大伴金村に命じて兵を興し平群邸を囲い火を放って焼き殺した。
また、妊婦の腹を裂いて胎児を見たとか、生爪を剥して山芋を掘らせたとかの残虐性を強調したものとなっている。
武烈天皇の名は小泊瀬稚鷦鷯尊であるが、小泊瀬は大泊瀬、すなわち雄略天皇の悪行に対する乱行をあらわし、稚鷦鷯は仁徳天皇の名の大鷦鷯に対応し、旭日に対する落日をあらわしているとの説もある。
いずれにしても、応神大王家は武烈天皇で絶えたということの証左とみるべきなのであろう。
第25代天皇 | |
天皇名 | 武烈天皇 |
読み方 | ぶれつてんのう |
名・諱等 | 小泊瀬稚鷦鷯尊 |
読み方 | おはつせのわかさざきのみこと |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 498?年から506?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 仁賢天皇 |
母 | 春日大娘皇女 |
兄弟 | 手白香皇女・高橋大郎皇女 |
配偶者 | 春日娘子 |
皇子女 | □□□ |
即位宮 | 泊瀬列城宮 |
天皇陵 | 傍丘磐坏丘北陵 |
所在地 | 奈良県香芝市今泉 |
武烈天皇 傍丘磐坏丘北陵
(ぶれつてんのう かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)
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