はしか絵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:57 UTC 版)
上述のように、鯰絵は以前に存在したさまざまな出版物を下敷きとし、また当時の世俗を反映したものであった。一方で鯰絵自身もまた、後世の風刺画に影響を与えている。よく知られたものが1862年(文久2年)のはしか絵である。はしか絵は疱瘡絵とも呼ばれる浮世絵の1種で、当時、治療不可能とされた天然痘を防ぐ護符としての役割をもつとともに、流行に混乱する人々の状況を描く世俗画でもあった。文久2年に江戸で麻疹が広まった際に描かれた一連のはしか絵では、7年前の鯰絵に構図を借りた作品がしばしば見受けられる。ナマズを打ち据える民衆を描いた「即席鯰はなし」に対する「はしか後の養生」など、鯰絵における大鯰を麻疹の神に置き換えたものが基本である。また、金太郎、桃太郎、鍾馗、源為朝などが、疫病神の嫌う色・赤色のみで描かれている。 「桃太郎」 南岱 作 大判 嘉永2年
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